映画えっちほー3


「うる星やつら2 ビューティフル・ ドリーマー」
「ボウリング・フォー・コロンバイン」
「直撃! 地獄拳」
「海賊島」
「007ダイ・アナザー・デイ」
「直撃地獄拳 大逆転」
「ダーティーハリー」
「海底軍艦」
「新幹線大爆破」
「狂い咲きサンダーロード」


「うる星やつら2 ビューティフル・ ドリーマー」

 「うる星」という物語のみならず、この映画そのものののビジュアルが、 イメージが、そして設定が (国内、海外を問わず)いかに多くの後続作品に影響を 与えたか、見ていてうぅむと唸ってしまうですな。ハリウッドもそこらの アニメ会社やゲーム会社も、押井守に年間億単位でカネ払わなきゃ いかんです(時の循環する疑似世界と、それらのすべてが一個人の願望や夢の 延長線上だった…という物語をこの20年どれだけ見てきたことか)。

 なんだかんだ言いつつ 世代人としては、「うる星」となるとなんとなく同窓会のような、面映い 気持ちで見てしまうですな。

 現在ほどの過剰生産消耗品でなく、作り手側も見る側も元気だった 時代のアニメというのは単なる郷愁だけでなく面白い。いわゆる美少女 アニメのハシリと言うか金字塔的な作品ながら、こう言っちゃうと、 「萌え」ってのはアニメキャラが単なる消耗品に貶められてしまったことを 意味する単語かも。


「ボウリング・フォー・コロンバイン」

 アカデミー賞授賞式でブッシュに物凄い挑戦叩き付けた、「映画秘宝」 誌読者なら知らぬ者いないマイケル・ムーア監督による本人主演 ドキュメンタリー映画です。

 1999年、トレンチコート・マフィアを名乗る二人組の少年が起こした コロンバイン高校での銃乱射事件をきっかけに作られた米国の銃問題告発 ドキュメンタリー。この監督、日本でも一応「スマステ」で香取慎吾に ビデオレター送ったりと紹介はされてますが、この突撃姿勢での取材の様を 「電波少年」的に「アポなし」と紹介するのは大間違いだと思ったですね。 少なくとも日本で言う「アポなし」という言葉は既に単なるお笑い用語 でしかないと思うし、「本人の意思を無視して他者の笑い者にする」 のと、「誰かを傷つけるのも覚悟しての世の中を変えるための奔走」 という行動とは語意が全く違うと思う。

 アメリカの銃問題を「白人による建国の歴史以来の恐怖感(このアニメ で紹介される建国の歴史が毒ありすぎで最高☆)」と、「恐怖感を 煽ることで自己利益に繋げようとする企業と政治家の謀略」と位置付ける あたりの左系思想はある意味観客を選ぶかも知れないが、コロンバイン 高校の事件に使われた銃弾がKマートで売られていた事実を元に、 被害者を連れて「おたくで売ってた銃弾を返品したい。被害者の体内に 残ってるよ」と、Kマートを銃、銃弾販売中止に追い込む様はやはり結構 痛快。

 圧巻なのはクライマックス、全米ライフル協会の会長、俳優 チャールトン・ヘストンへの突撃インタビュー…実はこの辺、どうしても 自己正義に陶酔してしまった左思想者が、自分の価値観に従い余生を 過ごす老い先短いボケ老人をいぢめてるように見えてしまうのも…。 まあ有意義かつ面白い上映時間2時間ではありましたです。

 ところで、自分が借りたのは吹替版なんだけれど、ヘストンの声が 小林清志って…ヘストン専門声優納谷悟郎を起用すればイヤミ最高 なのに(含笑)。


「直撃! 地獄拳(東映、監督/石井輝男)」

 主演はもちろん、地球最強の漢千葉真一。 ハイいわゆる空手ブーム真っ盛りの頃の映画なんだけれど、いやー良かった 良かった。ビデオに同時収録されている予告編に踊る「スーパースター 千葉 真一」(この予告編だけでもブッ飛んでてかなり素敵☆)のテロップにも 充分納得。元警視総監、池部 良の密命を受け、虎倒流忍術またの名を地獄拳 の使い手、千葉ちゃんが佐藤 充兄貴、中島ゆたか姐ェさんらと組んで、 津川雅彦演じるインテリヤクザが収めるマフィア(津川は「フィ」に アクセントを置くです)相手に血を血で洗う激闘また激闘! 特別出演 「帰ってきたドラゴン」こと倉田保昭も、千葉ちゃんと絡むシーンこそ ないものの闘う闘う! そして「(佐藤 充)せんぱ〜い、車の月賦の払い、 お願いしまぁ〜〜〜す!」と絶叫して散る(爆笑)!

 もうストーリーもパックボーンもどうでもいいぞ! やはり東映映画の 醍醐味は、JACと大野剣友会並びに大部屋俳優の方々による、 己の肉体を極限まで酷使したアクションに尽きるです! インテリヤクザ 津川の最終兵器(安岡)力也さんもブチのめし、津川も愛人のパツキン美女 もろとも潔く岸壁から投身自殺…そりゃ津川じゃなくても千葉ちゃんに直接ブチのめされるのは痛そうでヤだろうて。 「トラック野郎」シリーズとかもそうだけれど、やっぱり邦画が 面白かったのは「小難しい理屈がハバを利かす新感覚映像」なんてのが 出てくる前までって思うです。大衆娯楽路線の邦画がバカにされる風潮が 出てきたのはいつごろだったか…イヤこういう映画ばっかり見てても バカになるだけだけど(苦笑)、少なくとも映画見てる ときぐらい思考停止してバカになっててもいいと思いますです。いちいち 小難しいこと考えるのは見た後で。見ながらアレコレ考えてても映画が つまんないだけだし。


「海賊島(1950年大映京都/監督安田公義)」

 WOWOWにてなんとも気になったタイトルだったので見ました。 タイトルからして時代がかった舞台背景を連想しがちですが、時は 終戦直後の「現代」、瀬戸内海で暴れ回るヤクザくずれの海賊達を相手に、 島に乗り込んだ岡譲司扮する怪盗・禿鷹(自分のマークのカードを悪党の 元に残していくという…)が大暴れの冒険活劇。映画が大衆娯楽だった よき時代の、ぶっちゃけタイトルも忘れ去られるような掃いて捨てる 安映画なんですが、特筆すべきは水の江滝子扮する海賊の女頭目。 屈強なヤクザくずれを束ねる男装の麗人ながら、その胸の内ではただの 若い女として自らの境遇にコンプレックスを感じ、ふと触れ合った主人公の ために醜女に変装して密かに危機を助けるという役どころ…。 うわこれだけで充分、乾燥した内容の安アクション映画が見るべき ポイントを持ってしまったですよ!

 後には裕次郎を売り出すプロデューサーへと転身する水の江滝子ですが、 女優としても充分輝いているです。前述の通り映画自体は本当に大衆 娯楽の安アクションだけど、キラリと輝くキャラ設定ひとつで充分 面白い映画になっていました。創作をする上でたとえ類型的なストーリー、 内容に陥ろうと、魅力的なキャラクターひとり作り上げることが出来れば 面白いモノは作れるのですな。
(ところでWOWOWのプログラムガイドによると、この映画シリーズ物の 第2弾らしいんだけど…なんか第1弾やその後のシリーズの行方が気に なってきたです/笑)。


「007ダイ・アナザー・デイ」

「007」に厳しい訳じゃないけど、残念ながら敵が北朝という センセーショナル以外、大して褒める部分もない007。組織から 見捨てられ、孤高のアウトローとして戦う007という図を最後まで 貫いたら結構良かったのにね。


「直撃地獄拳 大逆転(東映、監督/石井輝男)」

 カラテ映画ブーム真っ盛りの折り、ブームに辟易していた石井輝男が、 もう二度と自分の所にカラテ映画が来ないようにという意図で作られたらしい 映画ながら、その石井の意図がこの映画をカラテ映画の枠に収まらない、 見る者すべての度肝を抜く奇跡的な怪作として完成しております。

 前作「直撃! 地獄拳」と比較して、千葉ちゃんのアクション度20% ダウン、カラテ度60%ダウン、ただし、バカ度300%大幅アップ! フケとハナクソはビールに 注がれ、役立たずの相棒は屁ェ浴びせられてウンコに叩き込まれ、しまいにゃ 丹波哲朗の仕掛けた罠に嵌って千葉ちゃん、網走番外地行き…。素晴らしい!  「映画秘宝」の日本のカルト映画50特集にて「これぞ映画! これぞ秘宝! 見ないと一生後悔するぞ!」 と大絶賛されていた理由がよく判る、くだらなさをブッチギッたバカ映画さ!  ケイン・コスギとか永井 大とかはこの路線を継承したバカ映画に出演 しなきゃいかんよ(爆笑)! ともあれ、見ただけで元気が素直に湧いてくる 映画であります。アクションだけでなく、バカ演技もキマる千葉ちゃんこそ (自分にとっては)まさにスーパースターだぜ!。


「ダーティーハリー」

 70年代から80年代にかけて少年期を過ごした世代には、心の底から 憧憬を抱かなければならない公務員が四人います。ドーベルマン刑事、ザ・ゴリラ、「西部警察」の大門団長、 そして山田康雄の声で喋るハリー・キャラハンです。
 WOWOWでの放映で見たのは惜しくも字幕版ですが、それでも頭のタガが外れた 連続殺人犯を相手に、サンフランシスコの暗部をムサ苦しくも、そして 犯人への怒りを胸に秘めて進むハリーは本当に格好いい。このハリー・ キャラハンから連なる刑事(デカ)の系譜を知る世代として、「踊る大捜査線」 の青島の、リーマン然した刑事像なんかとてもじゃないが受け入れられない です。

 やはり全盛期のイーストウッドこそ漢の中の漢というか、バスジャックした 犯人の視線の先、鉄橋の上に立つハリーのシルエットとか、犯人を射殺した 沼に、苦虫を噛み潰した表情にて市警のバッジを投げ捨てたりするシーン とか、何度見てもこう見終わった後で背筋が伸びるというか、 胸の奥が熱くなる映画であります。


「海底軍艦」

 言わずと知れた、我が国が誇る最高の鋼鉄映画です。

 やはり何度見返そうと、一目でその能力、偉容を観客の目に直撃で インプットする轟天号の勇壮なデザインは素晴らしいの一言に尽きます。 だが実は、この映画のもうひとつ語るべきところは…もはや滅びの道 しか残されていない、ムウ帝国と轟天建武隊、このふたつの、時代に取り 残された価値観同士の対立の構図にあるはずではないかと。

 1万2千年前、地上を支配していたという過去の栄光を引きずったまま、 その栄光という価値観から引きずり降ろされることを拒み続けるムウ帝国。 大東亜戦争敗戦のその日、反逆同然に伊−四○三潜を奪い、帝国海軍 としてあたりまえの価値観のままにいつか母国の栄光のためにと 20年間轟天号を作り続けてきた轟天建武隊。どちらも、時代の流れの中 滅びるしかなかった両者の明暗を分けたのは、実は「時代の流れの中で 生きていく意志」を選択するか否かでしかない。

 かつての上官から、そして20年を経て再会した娘から、自分の生き様を ほとんど否定同然に糾弾される神宮司大佐。もうひとつの古びた存在、 ムウ帝国皇帝の不幸は、とうとうその葛藤を持つ機会を持ち得なかった ことかも知れない。結果的に神宮司大佐は「錆び付いた鎧を脱ぎ捨てる」 ことで、新しい時代の中で生きていく選択肢を取る。それは、決して 軍人としての自身を否定する「長い物に巻かれる」意志でなく、自分たちの 20年の時間を、新しい未来のために生かすことへの決意なのだ。

 共に新たな未来を探せるはずの両者。だがムウ帝国は未来を模索するための 対話の道を拒み、遅すぎた滅亡の時を迎える。滅び行く、 自らの国を目の当たりに、ひとり残された女帝も 自らその滅びの炎の中へと向かっていく。 自分を残して去っていってしまう、自分を構築するすべてを、必死で 追いかけていくように。その轟天号の甲板から身を踊らせる姿はあまりに 弱々しく儚い、一瞬の美しさを見せる。そして、それを止めることなく見送る 神宮司大佐の眼に勝利の喜びはない。もし錆び付いた鎧を着続けていたの なら、それはもしかして、自分の辿った運命だったのかも知れないのだ。

 自らの築き上げた物を否定することなく、新たな未来を選んだ名将。 自身を取り巻く世界の美しさを守るべく、滅びの炎の中に儚くも 消えていく女帝…。日本映画は、最高の軍人と最も美しき女王を、まるで 奇跡のごとくこの一本の映画の中に誕生させたのである!

 …そういうことで、本来映画の主人公であるカメラマン高島忠夫は、 自分にとっては「海底軍艦は基地外に刃物 です!(倫理上ヤバいから文字反転)」という強烈なひと言ぐらいしか 印象に残らないのですな。むしろ冒頭ビキニ姿を披露してくれるだけの役、 北あけみの肢体のほうがよっぽど印象的だと(笑)


「新幹線大爆破(東映、監督/ 佐藤純彌)」

 世の不景気の煽りを喰らい、自前の工場を閉鎖に追い込まれた高倉 健が、 舎弟二人を引き連れ世知辛い世間に反逆開始。 東京−博多間を行く東映大部屋俳優の皆さんが乗り込んだひかりに、 「スピード」で おなじみ、時速80キロ切るとボンとなる爆弾を仕掛け、巨額の身代金を要求だ!  怒りの テロリスト健さんに立ち向かうのは、また警察の偉い人丹波哲郎、新幹線の 管制官宇津井健、そして新幹線の運転手我等がスーパースター千葉ちゃん!

 いやあ、クライマックスの時速250キロで走る新幹線の屋根上での 健さんVS千葉ちゃんの空手ファイトは見応えあったなあ(注:そんなシーン ありません)。タイトルや、当時の東映オールスター出演映画ということで エキセントリックな大作パニック物映画という認識を持たれがちですが、 むしろこの映画の本質は、実質上の主役となる健さんの、仕事も、家庭も すべて失ってしまった中年男が、最後に残った自身の曖昧な夢のための、 虚しくも苦い苦闘の様に集約されるはず。その傾向はラス30分、すべての 仲間を失いつつも本懐である身代金強奪を果たし、自らの夢…海外への 脱出を計ろうとする健さんの逃亡劇に、映画の主軸が完全にシフトしてしまう 辺りにも顕著であります。これがヤン・デボンだと本当に新幹線を 大爆発させたり健さんと千葉ちゃんをマジでガチンコさせたりするんだろうけど (苦笑)。
 派手な題材の割にこういう陽の届かぬドラマに主体を持っていく 辺りはいかにも日本映画というか、画面の派手さより物語に 重きを置く国民性なんですかね。

 捨てていこうとした自らの過去が決して 捨てきれないこと、もう少しで手が届いた自らの夢が飛び去っていくのを それぞれ目の当たりにする健さんの様を、鮮烈でありもの悲しくも描いた ラストシーンに至るまで、いやしみじみと見入ってしまったです。152分という、 当時の邦画にしてはの長尺も結構飽きることなく見れます。


「狂い咲きサンダーロード(東映、監督/石井聰互)」

 見たかったっスよ…逢いたかったっスよ(山田)辰夫さん! コレは 本当に、イイ映画であります。

 思えばこの映画の存在を初めて意識したのがたしか98年、当時 まだA5サイズのムック本扱いだった「映画秘宝/映画懐かし地獄70’s」 にて紹介されたこの映画のムサ苦しいまでに熱そうな内容に心惹かれ、 居住地内のビデオ屋を駆けずり回って探した日々。今は潰れて クリーニング屋になった橋向こうのビデオ屋で発見した時、小躍り気分で 帰り道をバイク(原チャリ)で飛ばして、速攻でデッキに突っ込んだ もんだったぜ…(←気分的に、ちょっと入ってる)。

 ツッパリとも暴走族とも縁遠い青春を送ったデブをして、映画の主人公、 山田辰夫さんのダミ声から絞り出る絶叫には惚れ込んだ。辰夫さんは絶叫と 共に、自らを取り巻くすべてに噛みつき怒りを叩き込む!

「暴走族がマッポにケツ振って愛される暴走族を目指すだあ? ざっけんじゃ ねえ!」
「やい右翼役の小林稔侍! だからって君が代歌いながら登場するんじゃねえ!」
「コラ稔侍! スーパーなんてダセぇ形容詞が付く右翼の分際で(真面目な 右翼の皆さんに失礼な)、オレのダチをホモの道に引きずり込むんじゃねえ!」
「テメェ映倫! 小学生が注射器片手にクスリ一発キメてる シーンで画面にボカし 入れてんじゃねえ(空白のところはヤバいんで文字反転)!」
「右翼とマッポと族が手ェ組んでこっちを潰しに来るってんなら上等だ ! 小学生の紹介で手に入れたバズーカで、市街地火の海にしてやるぜ!」

 辰夫さんの怒りすべてが爆発するラストの大砲撃戦! 日本全国の昭和55年 当時の爆走少年達に捧げられたこの映画に込められた破壊力は、ネットで 元気ぶりつつ現実の仕事での溜息の日々のギャップに、模型作りに逃げ込む 陰な感情にすら火炎放射器で無理矢理火を点ける!

「そんな身体でバイク乗れんのかよ」。マシンに跨り、失った右手首を アクセルに縛り付け、辰夫さんは笑う。この映画で、初めて、穏やかに そして誇り高く微笑んでみせる。抗争の最中、 切断され失われた右手の先にもはやブレーキは届かない。その先には、 狂い咲いた果ての散り様の瞬間が待っている。人生どんな生き方を選ぼうが、 誰しもいつかは必ず散り際を迎える瞬間が来る。その時、穏やかに微笑んで 終われるか、悔恨だらけの悔しさを胸に終わるのか、すべては人生のうちに この映画を見たか否かで決定する 気さえする。たとえ今の仕事をクビになり、実家にダラダラ寄生しつつも いつかは家を追い出され、世間様に後ろ指刺されるような日々が今後訪れる としても(ちょっとリアル過ぎる…)、散る時は絶対笑ってやろう じゃないか。腹の奥の怒りを画面と共に吐き出した後、泉屋しげるの 「翼なき野郎ども」のボーカルを耳に、そんなグッと染み入る気分にさせて くれるいい映画でありました。でも辰夫さん、オ百姓サンを職業差別した発言は 良くないっスよ…(苦笑)。



「映画えっちほー4」へ

目次へ