「大鉄人17」

絶対者と地球の守護神と…。

(原稿初出時タイトル)

98年春〜夏頃執筆。 初出「大逆襲 VOL.4」


 特撮関係の書籍を読んでいて、「大鉄人17」の名を発見すると、残念なことに大抵読んでいて 辛い気分にさせられる。これまで読んできた概ねの文献を見る限り、自分にとってのワンセブン像に 近付いたものに出会えたためしがないからだ。

 「大鉄人17」。これもまた自分にとっては思い出深いヒーロー番組のひとつである。 その思い入れゆえ、ただ資料を棒読みし、その末路を「人間のために犠牲になったかわいそうなロボ」 などという一元的な視点で締めくくったような文章を見た日には…もう惨憺どころではない憤りすら覚える。

 そんな過剰な思いから、自分はワンセブンについて誰もが容易く口にするこの一点にこそ意地悪な 疑問を抱いてしまう。物語の基本設定として、ワンセブンは生みの親である機械頭脳ブレインに反発 する結論を出したがゆえにその戦いを開始する。地球環境を汚し続ける人間こそ地球のガン細胞とし、 その抹殺を企てるブレイン。対して人類の味方となって、ブレインと戦い続けるワンセブン。

 だが、果たして本当にワンセブンは、「人類の味方」として自らの創造主と戦い続けたのだろうか?

 劇中、ワンセブンは人間に与する解答を出したがために、ブレインに危険視され、その全機能を封印 された状態にて初登場する(そのワンセブンの封印を解き放ったのが主人公、南三郎少年だ)。 しかし、何故にワンセブンは人間を守るという結論をはじき出したのか?

 大局的に見れば、元々地球環境の守護神として「地球を守るために」造られたブレインである。 その「人間を滅ぼす」という解答は悲しいまでに正しい。そのブレインによって生み出された 人類殺戮兵器17号ワンセブン、彼が如何なる計算ゆえに「人間を守る」という結論に至ったのか?

 ブレインの繰り出す殺戮ロボットに立ち向かう、謎の鋼鉄巨人として人類の前に姿を現すワンセブン。 しかし彼は、「人間を守る者」でありながら、何故か初めて出会った人間、南三郎少年以外の者とは 必要以上に接触を図ろうとはしない。その三郎少年とも、当初はイエス、ノー以外のコミニュケーションを 持たなかった。そして、たとえブレインロボットとの戦闘で傷つこうと、その体内に修理のための 人間を招き入れることすら拒む。

 ワンセブンはブレインの超生産能力が生み出した、17番目のブレインとも呼ぶべき言わば「分身」と いった存在だ。ともすれば、そう、ワンセブンの頭脳回路にはブレインの目的である「人類抹殺」が 組み込まれているのも当然のはずだ。

「人間を守る」結論を下したワンセブンの、存在目的とは大きく相反するプログラム。このプログラム により、ワンセブンは間違いなく知ってしまっている。争いを好み、互いを滅ぼし合う人間の 愚かな本能を…。

 そう、ワンセブンは知っているのだ。「守るべき存在」でありながら、「人間は、種としての存続に 値しない存在」であることを。

 それでは何故ワンセブンは人間の味方として戦うのか? 愚考すれば、ここにその存在が大きくクローズ アップされるのが、ワンセブンと唯一の「友」となった、南三郎少年である。


 ワンセブンがブレインと異なる結論を下した要因のひとつは、創造主ブレインが、自らの分身として 完璧な端末を求めてワンセブンを生み出したことにあった。その「完璧」すぎた完成度を持った ワンセブンは、その「完璧さ」ゆえ創造主を裏切る解答を出したことから封印される。

 果たして、その「完璧」なワンセブンが、何故に「人間を守る」という単純な結論に至ったか?  否、否である。

 ワンセブンは、「今、生きとし生ける人間の命」を守ろうという意思など持ってはいない。

 生命体以上の代謝能力とも言える超生産能力を持つブレインにも、最大の弱点がある。それは1年 ごとにオーバーホールを受けなければ、その神のごとき機能を維持することが出来ない。しかも それが出来るのは、レッドマフラー隊司令官として自身と敵対する最大の障壁であり、そして自身の 生みの親でもある佐原博士だけなのだ。

地球の守護神として、人間を滅ぼそうとするブレイン。
 そしてブレインが神として君臨するには、人間の力が必要となる。

 その矛盾に、「完璧な」能力を与えられていたワンセブンは気付いてしまったのだ。

 超生産能力の延長線上の機能として、ワンセブンの体内には自己修復機能を司る小型ロボットが存在 する。言わば、それは常に自身のベスト状態を維持する体調節機能であり、基本的には人間の手が触れる 余地すら存在しえない、まさに「ブレイン完全体」なのだ。

 そう、皮肉にも、人間の手を必要としない存在となったことで、ワンセブンは既に創造主ブレインをも 超越する「絶対者」として完成していたのだ。


 絶対者の下した結論はすべての解答に勝る。ここで、ブレインがワンセブンを封印した真の理由 は明白だ。
「神」である自身の頂上に、「絶対者」の君臨は許せない。

 恐らく、まだその人工頭脳がブレインに対して危険な結論に至る前にワンセブンは封印されたのだろう (後に、ブレインは自ら佐原博士に「ワンセブンは異結論を出したゆえに封印した」と語るが、それは ワンセブンが自身以上の存在であることを隠すための詭弁か?)。そうして封印されたワンセブンで あるが、その封印中の胸中は…「虚無」だったのではないか。

 創造主の分身として生を受けながら、その存在理由を否定された自身。創造主の出した結論に従う 気もなく、しかし、「自分が何を成すべきか?」の解答も出せない。そして、解答を出したとしても それに伴う「行動」すらままならない。

 そんなとき、自分の目前に現れた小さな生き物…その名は三郎。

 その幼い目前で姉を、両親をブレインのために失った三郎は、自らの復讐のため、ワンセブンを 封じた電磁フィルターを解除する。その、「計算」でなく「感情」の赴くままに行動する三郎に、 ワンセブンは感謝でなく、奇妙な興味を覚えたのだろうか。その願いのとおりにブレインロボット を粉砕、三郎に自分との通信機であるヘルメットを与える。かくして、人間の中で唯一ワンセブンと コンタクトを取る資格を得る三郎。そのために、三郎自身がブレインに狙われる危険も承知の上で、 のはずだ。

 創造主ブレインの忌み嫌う愚かな生き物、人間。もしかして、もしかしてワンセブンは、その人間として まだ未成熟な三郎を通して、人間の存在意義を計ろうとしたのではないか? 

 果たしてブレインの結論のとおり、地球から排除すべき存在なのか?
 地球の生態系のひとつとして存続させておくに足る存在なのか?

 それを推し量るためのモルモットとして選ばれたのが三郎ではなかったか?

 だが、その若い、直情的に、ひたむきに生きていく三郎が選ばれたことは、我々人間にとって 幸運だったはずだ。いかなる演算上においても、現在の地球にとって人間をのさばらせることを 良策と回答する機械は存在しないだろう。しかしワンセブンは、絶望的な状況下に置かれようと、周囲の 大人たちに支えられつつ力強く成長していく三郎の姿に最終的な結論を下した。

 ワンセブンは三郎に可能性を見たのだ。
 人間は、絶対たる機械をも超える力を出すことが出来る。

 そう、人間への依存から逃れられない機械が、三郎たち次の世代が地球を正していくという
{未来の可能性」を、否定することは許されない。

「絶対者」は「守護神」を否定したのだ。
不完全な「守護神」の、矛盾に満ちた結論を――。


 そうしてワンセブンは劇中、三郎を初めとする、主に少年少女といった世代と徐々に 交流を図るようになる。ワンセブンの出した真の結論はただ「ブレインの否定」である。 しかし、もしかしたら、三郎たちの世代が未来の地球にとって良となるのではないか? それは、絶対者 をもってしても算出できない疑問であった。

 その疑問を解くため、ワンセブンは積極的に未来を担う子供たちとの交流を開始したのではないか (番組後半の、ぬるいとも言われる展開への自分なりの視点である)?

それは、ワンセブン自身も気付かずにいた、ひとつの言葉で表現できた。

「希望」と――。


 次世代たちとの交流のため、ワンセブンは進んで人間的感情を学ぼうとする。発するようになった 人間の言語とあいまって、そうして見た目には、ワンセブンはどこか人間くさい表情を覗かせる ようになる。そうしたワンセブンにとって、自らに似た外見、自らの分身とも呼べる機能を持つ「弟」、 ワンエイトはあまりに最悪な敵であった。

 人間的感情を進んで持つようになったワンセブンから見れば、同じく「人間的感情」を剥き出しに 敵対してくるワンエイトの存在は、初めてワンセブンに「同族と戦う苦痛」を経験させたのだ。

 そうして苦心の末、世界にたったひとりの仲間――弟を失ったその悲しみは、ワンセブンにとって 如何程のものだったのか。劇中にて跪き、嘆くワンセブンの姿は、本放送当時8歳だった一視聴者の 記憶に鮮烈に残るようになる。


 そして最後の戦い。

 ブレインに捕われの身となった三郎を、助けに行くことを拒否するワンセブン。ブレイン本体の 半径2キロ、ブレインエリアと呼称される領域は、その範囲内に入った機械をブレインの支配下に 置いてしまう。ブレインを超越した絶対者、ワンセブンとてその例外ではないのだ。

 だが、如何なる意思ゆえか、ワンセブンは遂にブレインエリアへと突入する。捕われの身となり、 その機能を停止するワンセブン。

 時同じく、ブレインに対抗するために佐原博士が新たに作り上げた第二ブレイン、ビッグエンゼルは ブレインを倒す唯一最後の回答をはじき出す。

「ワンセブン…サブロー」

 それは、ワンセブン自身も出していた解答でもあった。すなわち、ワンセブンの頭脳がその機能を 停止したまま、三郎がワンセブンのボディを操縦することによってブレインと戦う。

 それは、絶対者としての自己を否定する、ワンセブンにとって自滅同然の結論である。

 そして、ワンセブンは初めて「絶対者」としての存在意義を失い、「人間」、三郎の操縦にて ブレインと戦う。「人間の力」を借りない限り、ブレインに勝つことは出来ない。やはり自分も 「人間の造ったモノ」としての宿命から逃れられなかったのか?

 ワンセブンは、最後の最後で「自身の存在意義」に至ってしまったのだ。自分も、結局は創造主 ブレイン同様「不完全な」絶対者だったのだと。人間に依存するしかない「機械」だったのだと――。

 最後の自己意思にて三郎を強制脱出させ、ブレインと共に炎の中に消えるワンセブン…。


「絶対者」、「地球の守護神」、共にその存在意義を否定し合ったがゆえの、いや、元々同じ「機械」 同士の壮絶な滅亡劇だったのか? こうして物語は終結し、二つの超越意思は、互いに自身の意思の 行く末を見ることなく我々の前から消える。不完全な守護神と、自滅の道を辿った絶対者。果たして どちらの意思が正しかったのか…? その回答を、おそらく永遠に彼等を超えることはできないであろう、 我々人間に下すことは出来まい。 

 大鉄人17。人間が造りし、人間以上の荘厳なる絶対意思。彼が滅んだ後も、地球はなおも 人間の手によって、破滅への道を緩やかに刻んでいるのかもしれない。しかし、それでも彼に「後悔」 という思いはないはずである。

 絶対者が自身の存亡をも賭け、我々人間に与えてくれたのは、この先なお地球で生きていく上の 「決定権」なのだ。最後の審判は、彼等の創造主たる我々人間に託されている。

 それでも、最後の選択を人間に委ねてくれた、あの愛すべき「絶対者」の最後の最後の行為を、 自分はどこかで信じたい思いでいる。あの時ワンセブンは、決して自らの自殺の片棒を担がせるために 三郎を救いにいったのではない。純粋に「わが友」、三郎を助けるために自滅への道に挑んだのだと。
 そうでなければ、あの、最後の言葉はあまりに悲しすぎるではないか。

あの、限りない慈しみに満ちた、「さようなら、三郎くん」という別れの言葉が――。

 
(改稿 2002,9,21)

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